使えない善意 そこは初めて来る場所だった。 賑わっている通りから一本中に入った場所。ともすれば容易に見失いそうな、控えめな佇まいの店だった。開け放たれた小窓から、香ばしい匂いが流れてくる。 響也は、馴れた様子で店長に挨拶をしながら暖簾を潜り抜ける成歩堂の後に付いて店内に踏み込む。と、橙色の穏やかな照明に照らされる彼は、その店の雰囲気に似合っている事に気付いた。 響也の年齢層よりも成歩堂、もしくはそれ以上の年齢の客が多い。何処か気怠くて、うらぶれた雰囲気は拭い切れないが、年を重ねる事でしか手に入らない自信のようなものを皆背負っていた。 「響也くん、こっち、こっち。」 入口にはカウンター。その奥のちんまりと置かれているテーブルと椅子に腰掛けて、成歩堂は響也を手招いた。 男がふたり手を置くと、テーブルの上に何も置けないほどに小さなものだ。煙草の脂や、料理油が染みついた焦茶色の椅子に肘を置いて、成歩堂はやっと帽子を脱いだ。 それを片手で持って、パタパタと仰ぐ。Tシャツは汗が染みている。 「あ〜暑かった。」 だったら、何で被っているんだか。呆れた表情で、響也は横に置いてあったメニューを取り出した。内容的には王泥喜と飲みにいく居酒屋と変わらないとメニューを眺めているれば、『焼き鳥』だよ。と成歩堂が笑った。 「ここの店の焼き鳥は絶品だよ。何と言ってもみぬきが好きなんだよねぇ。」 ああ、そう。 響也はぱたりとメニューを閉じて、成歩堂を見つめた。ふっと息を吐いてから、口端を上げる。 「お嬢ちゃんは、プリンが好きなんじゃなかったかい?」 「いくら好きでも、御飯のおかずにはならないだろ?」 質問で返された答えは家計の切迫を匂わせるもので、響也は諦めたようにメニューを成歩堂に手渡すとまかせるよと告げる。 にやと笑った成歩堂は、メニューを広げてあれこれと料理の名と生ビールを注文した後に、お土産に焼き鳥を二十本見繕ってくれと声を掛けた。 結構な本数を注文する成歩堂に、人の財布を宛てにするならもう少し謙虚になったらどうだと、響也はわざと頬を膨らませ不機嫌な顔をしてみせる。 どうせ莫迦にしたような嗤いを浮かべるだろうと思っていたが、成歩堂は響也の表情を見て眉を潜めた。 予想外の表情に、響也は戸惑う。 「あ、あのさ。お嬢ちゃんはそんなに大食らいなのかい?」 そう言いながら、突出しとして出されていた、鮪や烏賊などの魚介類をレタスや胡瓜などとまぜたものを箸で軽くまぜた。鼻を擽るオリーブ油の香りが、イタリアンレストランの海鮮サラダを思わせ、こんな店で出てくるものとは思えなかった。口にすれば、わさびの辛さが食欲を刺激する。 「…美味い。」 「店主が好き勝手なものを出してくれるから面白いんだ。正に、突き出し『初出の料理』ばっかりさ。」 ひょいひょいと料理を口に運ぶ響也に顔を近づけ、成歩堂はひそと声を出す。 「家にね、王泥喜くんもいるんだよ。」 箸を口にくわえたまま、響也は瞠目する。 「なんでまた!?」 「まぁ、君も知っているとり、うちの事務所はあれなんで、こう支払う給料が…ねぇ。家賃が滞る前にうちに来ないかと誘ったんだよ。経費削減って奴かなぁ。三人寄れば文殊の知恵とかいうだろう?」 言わないよ。響也は腹の中でツッコミをいれる。 「……好きにすれば。」 にこにこと満面の笑みに変わる男を見ていると、実際蹴りを入れてやりたくなる。苛立ちの原因を簡単に特定出来、そんな沸いてくる感情が腹立たしくて響也はジョッキを煽る。苦味のある泡が喉を通り過ぎていけば、多少なりとも溜飲は下がる。 そんな響やに、『もっと飲め、飲め』と成歩堂は、生ビールを注文していくが大半は彼のお腹へと消えていた。気付けば、滅多に見ることの出来ない酔っぱらいの『元弁護士』が其処にいた。 目尻を赤らめ、面倒くさそうに瞼を持ち上げて見てくる男はドキリとするほどに色気がある。 「そもそも、此処じゃなくてさ、地方ではまだまだ弁護士は不足しているから、王泥喜くんも他のとこに行けば、もっといい稼ぎになることはわかってるんだ。 でもね、手放し難いというか…ま、要するに僕の我が侭だね。」 彼は酔うと饒舌になるらしい。響也は一方的に話し続ける成歩堂の言葉に耳を傾けながら、殆ど空になっている皿から何とか食べ物を拾い上げて口に入れる。今夜はどうも酔えなかった。 「検事くんだって、ライバルがいなくなったら寂しいだろ?」 「あのね、僕も国家公務員だからわからないよ。転勤はつきものだし、特にアニキの一件もあるから、いつ地方に出向なんて通達が来るのかわからないよ。」 王泥喜ばかり気にする成歩堂に不機嫌になるなんて、所謂これは嫉妬なんだろうか…随分と格好が悪いなぁと思いながら、対抗心に背中を押されて、響也は話しを止めなかった。 いつの間にか、成歩堂が黙り込んでいることなど気付きもしない。 「こうやって、アンタと飲むのがこれが最後…なんて可能性だってない訳じゃない。…いつまでも、奢ってもらえると思うな、よ…?」 成歩堂が、すっと響也に向けて指を伸ばした。 避けずに見ている響也の後ろ髪にそっと指を絡める。口元は緩めたままで、成歩堂は瞳を細めた。 「そうだな…皆変わって行く、寂しいけれどね。」 content/ next |